2.パスクア島(チリ)
by:voltamax
画像をみてこれはイースター島では?と思われた方、その通りです、イースター島の正式名はパスクア島と言うチリ本土から遠く離れたポリネシアの火山島です。
1722年のイエス・キリストの復活祭(イースター)の夜、オランダ人海軍提督で探検家の
ヤーコプ・ロッヘフェーンが発見し、発見した日にちなんで、イースター島と名付けられた。
この島は皆様もご存知のモアイ像が存在することで有名ですが、イースター島の発見者のヤーコプ・ロッヘフェーンは島を発見した当時、1000体にも及ぶモアイ像とモアイ像の前で火を焚き、地に頭を着けて祈り祈りを捧げる現地民の姿を目の当たりにしたといいます。
そのことから、村の守り神として祀っていたとされる説が有力とされていたが、昨今の調査によると、モアイ像の土台から人骨が見つかることが多いことから、モアイ像は人の墓なのではないかと言った説が有力とされている様です。
イースター島の歴史は3つに分けられており、植民紀:西暦400~800年頃にポリネシア人がカヌーで島に到着し生活を始め、アフ・モアイ紀:800~1680年頃にモアイ像などが作られ始め、フリ・モアイ紀:1680~1864年には部族間で争いがが起こるようになり、ヤーコプ・ロッヘフェーン発見時の1000体に及ぶモアイ像は倒され減少してしまった。
その後、1864年になるとカトリック宣教師が島へ入り、島民の奴隷狩りが行われ、島の人口が減少。文明が途絶えてしまったとされている。
モアイ像が作られ始めた西暦800年頃にはもちろん現代の機械などは無く、ヤーコプ・ロッヘフェーンがイースター島を発見した頃は産業革命ではあったが、イースター島はその頃、外部との接触は全くなかったとされている。それではモアイ像はどの様に製造されていたのでしょうか。
モアイ像は岩山から切り出した凝灰岩をその場で彫刻し、完成後に縄で引っ張り海岸まで運んだとされており、10t程の石像はまではどうにか運べるサイズだということが実証されている。しかし、条件が複数重なった場合に限る様である。
しかし、現在発見されている最大のモアイ像は90tもあり、岩山は90tの像が設置されている場所からおおよそ10km程離れており、その間には崖などがあり、どの様に運んだのかはいまだに解明されていない。
ピラミッド建造時と同じ様な建造時の謎が残っているが、考え逆に捉えると同じような方法で作られたのではないかと考えてしまうのは私だけでしょうか?
ピラミッド建造時には以前にお話しした、バシャールの話では無重力装置を使い建造されたと
言った話がある。もしもその様な装置があったならば、モアイ像の建造、移動時には無重力装置が使われたのかもしれません。
バスクア島にはモアイ像が点在しますし、絶景がひりがる島なので、GoogleMAPやGoogleEarthを利用してストリートビューを楽しんでみてはいかがでしょうか。
コメント