ファティマの予言 (3度目)1917年7月13日
ファティマの予言とは、1917年7月13日 第一次世界大戦の真っ只中、ポルトガルはファティマで聖母マリア(ロザリオの聖母)より3名の子供たちに向けて大きく分けて3つの予言を与えたものである。
初めて聖母マリアに出会ってからちょうど3か月後ルシア、フランシスコ、ヤシンタの3人はこの日重大な予言を聞くことになる。この時には5千人ほどの人が聖母マリアの姿を見ようと集まった。しかし、3人の子供たちにしか聖母の姿は見えていない。
ファティマ第1の予言
ファティマ第1の予言は大戦真っ只中であったが、翌年には終戦となるといった内容であった。実際に、予言は的中し、1918年11月11日に第一次世界大戦は終戦を迎える。
ファティマ第2の予言
ファティマ第2の予言は、現在の争い(第一次世界大戦)は翌年終焉を迎えるが、このまま人類が神に背くことを止めないのならば、再び争いが起き、現在より醜い争いで、不思議な光が空を照らすだろうと伝えた。
この予言も的中しており、1939年9月1日に第二次世界大戦が開戦してしまった。
不思議な光が空を照らすとあるが、これが正しい解釈かはわからないが、長崎、広島に原爆が投下され光が空を照らしたことは事実である。
また、不思議な光についてはほかにもあり、ヨーロッパでオーロラが見られたことがあったようだ、その後に世界大戦が始まったと言った記録もある。
ファティマ第3の予言
ファティマ第3の予言は聖母マリアに1960年まで口外してはいけないと告げられており、ルシアはお告げ通りに1960年を過ぎたころ、1944年に書いた第3の予言の文書を当時のローマ教皇(ヨハネ23世)に託し、その文書を目の当たりにしたローマ教皇は相当なショックを受け、公表することなく封印しました。
その後ヨハネ23世が退任しパウロ6世が就任した際に封印を解きファティマ第3の予言を閲覧したが、あまりに衝撃的な内容からショックで昏睡状態になったと言われています。
これらの事から、かなり衝撃的で、公表すると混乱が起きると考え公表されないままであった。
しかし、1981年 一人のカトリック教徒がアイルランド航空164便ハイジャック事件を起こし、要求はファティマ第3の予言を公表しろと訴えたと言います。この事件をきっかけに2000年に公表することとなる。
公表された内容は1981年5月に発生した、ヨハネ・パウロ2世の暗殺未遂事件を記しているいった内容であった。
これを知って誰が納得するのであろうか、パウロ6世はこの内容で昏睡状態になったのであろうか?いささか疑問である。実際に、ルシア本人もこの公表について『バチカンは嘘をついている』と発言しており、和解してしまったのだが、提訴もしている。
また、根拠として、パウロ6世が昏睡状態になるほどの内容ではない事、公表までに40年もかかった事で裏付けられている。
2005年にルシアはこの世を去り、バチカンで封印されているファティマ第3の予言書でしか事実を知ることは出来なくなってしまった。
このまま予言は明かされないのかと思われるが、以前、違法工事だったサグラダ・ファミリアと巨匠の隠されしコードでご紹介しました、カトリック大聖堂サグラダ・ファミリア完成の年(2026年)に公表されるのではないかと言った噂があります。
それは歴史上13年で転換期を迎え13と言う数字は完結、完全を表すからという事の様だ。
また、インターネットの掲示板でヨセフと名乗る人が2035年にファティマ第3の予言が公開されるといった書き込みもあり、あくまでも憶測ではあるが、時代の流れ、転換期には予言が交際される日も来るかもしれません。
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