不屈の精神を持つ男、天才発明家トーマス・エジソン Thomas Edison

皆様こんにちわ!前回はアインシュタインについてお話いたしましたが、今回は天才発明家トーマス・エジソンについて触れていきたいと思います。

トーマス・エジソンとは

1847年-1931年 アメリカ生まれの発明家、起業家で、白熱電球や蓄音機を含む1300以上の発明や技術革新を行い、生み出し自らの会社エジソン・ゼネラル・エレクトリック社(GE)を設立した。

GE社は先に挙げた、白熱電球などの生活家電だけではなく、発電、送電を含む電力系の事業化ににも成功した。

エジソンの功績なしに現代を語ることが出来ないと言っても過言ではない。

しかし、その功績が称えられるまでには幾多の困難、失敗の繰り返しがあった。

幼い頃はまともな教育を受けることができず、図書館などを利用し、独学で勉強をしていたという。また、新聞配達などアルバイトをしてお金を蓄え、研究室を作ったという逸話もある。

更に16歳の頃には電信技士として働き、様々な土地を回り、あらゆる科学雑誌を読破し常に勉学に励んだ。

二コラ・テスラとの出会い

1884年トーマス・エジソンの経営する会社エジソン・ゼネラル・エレクトリック社二コラ・テスラが入社してきた、これがテスラとの初めての出会いである。

しかし、エジソンが発明するものは直流送電の発明であり、テスラが発明するものは、交流送電であった。

テスラは交流による電力プロジェクトを提案するも直流送電にこだわりを持っていたエジソンそれを認めず、溝が浮き彫りとなり。テスラは1年もたたずとしてエジソンのもとを離れることとなる。 エジソンテスラへの

のちに、交流送電を採用していたテスラおよび、ジョージ・ウェスティングハウス・ジュニアと直流送電を採用していたエジソンとの間で電流戦争が勃発するが、エジソンは敗北する。

また、余談ではあるが、エジソンはヘリコプターの発明もするが安全面を気にするあまり、実際に制作に取り掛からず、最終的にはライト兄弟に先を越されてしまうといった残念な一面もある。

エジソンの発明

■白熱電球

蛍光灯やLEDが主流となっている現代でもいまだに利用されている、白熱電球は1879年にエジソンがカーボンフィラメントを用いた実験で約40時間の連続点灯に成功し後にさらに連続点灯時間を延ばすため、6000種類の素材で人権を繰り返しその中で竹の繊維が最も有効的な素材ている事を発見し、製品化し世に送り出した。

 

■蓄音機

現代では、録音、再生は手軽にできてしまう世の中となったが、1877年前までは、録音、再生など一切できない世の中であった、それを初めて可能とした人物がこれもまたエジソンであった。エジソンは30代でこの発明をしてから、80代の間の約50年間、一番情熱を注いだ発明品だと言われている。

■キネトスコープ

by:wikipedia

キネトスコープとはそもそも何でしょうか?

簡単に言うと映画を見る装置のことで1891年に発明された。
映画を撮影するカメラは、キネトグラフと呼んでいた。
1893年にはシカゴ万国博覧会で話題となり、約三年間でアメリカ全土で映画館が建てられた。

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