王族の血筋、教科書には乗らない聖徳太子の謎と予言書

皆様こんにちわ!前回は会話の出来るゴリラについてお話いたしましたが、今回は皆様も

学生の頃に習ったであろう、聖徳太子について触れていきたいと思います。

皆様はまず、聖徳太子とはどんな人物だと認識しているでしょうか。

10人の話を同時に聞く事ができて、小野妹子遣隋使として派遣し、冠位十二階十七条憲法を制定した人物で、昔の100円札、1000円札、5000円札、1万円札にもなっていた人物と認識しているのではないでしょうか。

おそらくそれ以上でも、それ以下でも無いはずです。

それでは聖徳太子についてまず再確認してみましょう。

聖徳太子という人物

出典:Wikipedia 聖徳太子

飛鳥時代(592年~710年)を象徴する人物で、31代天皇 用明天皇(ようめい)の第2子として生をを授かる。叔母には33代天皇 推古天皇(すいこ)がおり、推古天皇によって、太子は摂政※1に抜擢される。ちなみに聖徳太子(574年~622年)とは諡名(おくりな)であり、生前の名前は厩戸皇子(うまやどのみこ、うまやどのおうじ)と呼ばれていた。

※1国家における君主が女性や病弱、不在、幼少の場合に代わって任務を遂行する。

太子の政策について

先にも挙げましたが、太子が行ってきた偉業の中で最も有名な政策が遣隋使の派遣、冠位十二階制定、十七条憲法制定です。どの様な政策だったのかこちらも確認してみましょう。

■遣隋使派遣(600年~618年)

出典:Wikipedia 小野妹子

当時の(中国)は日本を格下と見ていて、汚い言葉を使うと”ナメ”ていたんです。しかし、実際は隋の力は強大で日本が支配されてもおかしくない状況でした。

そんな状況にも関わらず、太子は以下の様な攻めの国書(手紙)を小野妹子に託したのです。

日、出る処の天子、書を日、没っする処の天子に致す、恙なきや。

要約すると【日本の天下を治める者が、中国の天下を治める者へ手紙をします。】といった文になります。

これを読んだの皇帝は対等な立場での文章にブチ切れます。しかし、派遣されていた、小野妹子は怯むことなく、対等に交流を深めたいとの態度を変えず、の皇帝はその姿勢が気に入り良い交流ができるようになった。遣隋使は18年間の間に5回以上行われている。

このことが無ければ、今頃日本は中国の配下だったかもしれません。

■冠位十二階(603年~648年)

日本で最初の階級制度で、冠の色によって階級を表していた。

位の名称は【徳 仁 礼 信 義 智】と6種類に分け、さらにそれらを大小に分た

【大徳/小徳】【大仁/小仁】【大礼/小礼】【大信/小信】【大義/小義】【大智/小智】

これで12階位が完成し、さらにこれらを【紫 青 赤 黄 白 黒】を使い色分けし

た。

出典:日本の歴史について分かるサイト

この制度ができるまでは、一族単位で位が決められており、生まれ育った家系によって

いくら実力があっても特に認められるわけでも無かった。この制度で個人に位が与えられ、位が上がった者もおり、小野妹子その一人であった。位の色分けは各国、宗教でも使用されることから、どこからかインスパイアされたのか、又は、深層心理でつながっていたのかもしれない。第6感、第7感にも繋がりそうな話である。

十七条憲法制定(604年~)

日本で初めての成文法になります。この十七条憲法は現代の国民の為の憲法ではなく、先に挙げた、冠位十二階に当てはまる役人の為の憲法である。

原文及び、全憲法の現代約は割愛しますが、この十七条憲法については、憲法というよりはルールに近いものがある気がします。

十七条憲法の原文

2つ程挙げると、するならば、第七条の内容を簡潔に現代文にすると、【役人の皆さんは与えられた仕事をしっかりと勤め上げること。】、第15条【役人の皆さんは自分の懐ばかり考えず、国の為にしっかりと働いてください。】などです、

しかしながら、階位のある者たちの秩序を守るためには必要な内容だったと思われます。

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